2021年春、島根県奥出雲の森田醤油店から新しい醤油が発売されました。
醤油の名前は「百年先も。」
島根県産の大豆と島根県産の小麦を100%使用して、2年間熟成させて丁寧に作られました。
丸大豆醤油特有の柔らかい風味が特徴で、お料理に使ってもよし、
そのままかけ醤油として使っても、素材の味をよく引き立ててくれる美味しいお醤油です。
それにしても、「百年先も。」とは少し風変わりな名前のお醤油です。
よく見てみると、「百年先も。」の文字の右側に「蘇った木桶に仕込んだ熟成醤油」とあります。
(ちなみにこの商品ラベルは、森田醤油店の社員さんの手書きだそうです。達筆!あやかりたい。)
このお醤油、発売に至るまでには醤油屋と木桶職人たちのとても大きな挑戦がありました。
醤油屋と木桶職人たちの古い木桶にまつわる挑戦のおはなし、ぜひ読んでみてください。
「百年先も」の仕込みに使われた木桶は、昭和初期に新潟で作られた。作られてから少なくとも50年以上は経過している。
新潟の味噌屋で味噌の仕込み用に使われていたが、その後使われなくなって蔵の中で眠っていたものを、島根の森田醤油店が譲り受け醤油の仕込み用の桶として復活させたものだ。
「蘇った木桶」という文言の由来である。
この使われなくなった木桶を復活させるためには、「組み直し」というかなり特殊な技法が用いられた。
「組み直し」とは、桶を一旦各木材に解体してから、再度組み上げるという技術で、現代ではほとんど実施された事例がないとても珍しい技法である。
現代のように醸造用の樹脂や金属製のタンクがなかった江戸時代には、醸造用の桶の製作や組み直しが盛んに行われていた。
とはいえ、当時でも20石や30石といった醸造用の大桶は大変高価なものだったため、新桶の製作は限られた蔵元のみにとどまっていたようだ。
その代わり、大桶を効率的に使いまわすための蔵元間での流れがあった。
具体的には、醸造用の大桶を新しく作るのは、圧倒的に酒蔵が多かった。
酒の醸造にかかわる微生物は味噌、醤油に比べてかなり少ない。
そのため、20年から30年使用して木桶自体に微生物がすみついてしまうと発酵に悪影響を及ぼすために、短いスパンで新しい桶を使わなければならなかったようだ。
酒蔵で使われなくなった木桶は、その後、醤油蔵、味噌蔵などの発酵調味料の醸造所に新桶よりも安価で譲られ、醤油や味噌などの醸造に使用された。
木桶自体は、適切な手入れをすれば100年以上使えるため、酒蔵で作られた新桶は各地の醤油屋、味噌屋でその天寿を全うしたのである。
このように、酒蔵で作られ、醤油蔵、味噌蔵その他の発酵食品の蔵元にわたるという木桶の流れは、戦前まではたしかにあった。
木桶のこの流れに不可欠なのが、「組み直し」という技法である。
先ほどもご説明した通り、「組み直し」とは、木桶を一旦バラバラに解体し、その後、元通りに組み立てる技術である。
容量が30石や50石(1石は約180L)といった巨大な木桶を輸送するためには、一旦材木の状態にばらしたほうが効率が良い。
というか、現代のように重機やトラックのない時代、解体しないと巨大すぎるため輸送ができなかったのだ。
酒蔵で使われなくなった大桶は運ばれる前に一旦解体され、また醤油屋で組み直しして設置されたと推察される。
組み直しの技法には、新桶を作るのとは全く違う難しさがある。
ジグソーパズルのピースのようにただ元通りに組めばいいという訳ではない。
まず、木桶を解体する際には、木材を傷めないように細心の注意が必要だ。ただ最初に組み上げた時点で木材自体に多少のゆがみや割れが生じている場合がある。
新桶を作る場合は、新しい材料で組んでいくため狂いが少ないが、一度組み上げられた木材には前述のようにクセがついている。
そのため、木材のクセを理解し、木材を傷めないように慎重に組み上げなければならない。
今回の森田醤油店での組み直しを担ったのは、大桶の製作や修理を専門とする木桶職人集団「結い物で繋ぐ会」だ。
今現在、日本で三つと言われている大桶を製作できる技術を持つ組織の一つだ。
高齢化が進む日本の桶職人のなかでは異色の平均年齢30歳代の職人集団である。
彼らは大桶を作る際に、鉄バンドなど近年の木桶作りで使われる資材は使わない。それらを使うと余分な負荷がかかり、木材を傷めてしまうためだ。
棟梁である徳島の「司製樽」代表の湯浅氏は、新桶製作のかたわら各地の蔵元から譲り受けた古い大桶を解体するなどして、江戸時代の木桶職人達の技法を日々探求し続けている。
残念ながら、江戸時代当時にどのように大桶が作られていたかについての文献は残っておらず、当時の正確な技術も現代に伝承されていない。そのため古い時代の大桶が当時の技術を知る大きな手がかりとなるのだ。
現代にはほとんど前例のない「組み直し」は、彼らにとっても大きな挑戦であった。
2017年11月、新潟県の味噌屋より譲り受けた30石の大桶3本は現地で解体された。島根県の森田醤油店へと運ばれたのち、木材の状態で森田醤油店にて保管された。
翌年の2018年7月、森田醤油店にて木桶の仮組みの工程が始まった。
「結い物で繋ぐ会」にとっても30石の大きさの組み直しは初めての挑戦だ。
木材は味噌の塩分がしみこんでいるため、乾燥していても同じ大きさの新品の木材よりもかなり重量感がある。
巨大で重い側板に悪戦苦闘しながらも、30石の桶の側板は組みあがり、バラバラに分解された側板が立ち上がった。
いよいよ同年10月、森田醤油店での本箍(ほんたが)入れの作業が始まった。
とにかく木材が重い。底板は大人4人がかりでも持ちあがらない。
また、もともと底板が入っていたところから1cmでもずれると漏れるため、力をこめながらもミリ単位での繊細な調整が続いた。
竹を刈って本箍を編み、本箍、底板を入れる。最後に漏れがないかどうか確認した。
6日間の工程の後、大桶1本は立派に組みあがった。
昭和初期に新潟で作られた大桶が、島根にて息を吹き返した歴史的な瞬間である。
またそれは戦前まで行われていた組み直しの技術が、若い現代の桶職人達に確かに受け継がれていることを示す歴史的な意義を持つものだった。
島根県内で木桶の組み直しが行われたのは戦後初めての出来事と言われている。
↓写真は、木桶に底板を入れる森田醤油店 森田社長と森田浩平氏
現存している醸造用の木桶は、そのほとんどが戦前に作られたもので、現状何かしらのメンテナンス、調整が必要だ。
新桶の製造とあわせて、その手入れの技術を確立することは今後の日本の醸造業にとっては必要不可欠といえる。
その調整を今後担い続けるのは、若い木桶職人達だ。
平均年齢30歳代の木桶職人集団「結い物で繋ぐ会」が輪替えや組み直しなどの木桶のメンテナンス技術を受け継いだことは醸造業界にとって大きな意義を持つと言える。
このようにして「蘇った木桶」にて最初に醸された記念すべき醤油が「百年先も」である。
職人による適切なメンテナンスを行えば、「蘇った木桶」は今後100年から150年程度は醸造用として使い続けられる見込みだ。
木桶仕込みの醤油の味をタンクなど他の醸造容器で再現することは現時点では不可能と言われている。
木桶や蔵に住み着いた100を超える多種多様な微生物が発酵にかかわっており、それらの種類は各蔵によって異なる。
また、それら微生物の役割がまだ解明されていないためだ。
そのシェアは現在1%未満と言われており風前の灯だ。それは木桶職人の業界も同様である。
今回、森田醤油店は若い職人を育てるという気概を持って、若い職人達に近年、前例のない組み直しに挑戦する機会を与えた。
古き佳きものを直しながら丁寧に使い続けることは、近年、持続可能な社会の観点から注目されているのは周知の事実であるが、それ以上に、丁寧に作られたものを大切に使い続ける姿勢は何でも手に入る時代に生まれた私たちの心が求めていることとも言える。
私は森田醤油の心意気と、結い物で繋ぐ会の挑戦を精一杯応援したい。
きしな屋 店長キョウコ
↓組み直しが完成した大桶の前で記念撮影
左から、結い物で繋ぐ会の伊藤氏、湯浅氏、森田醤油店の森田浩平氏、森田社長、結い物で繋ぐ会の岸菜、宮﨑氏